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発達障害 みんなのストーリー

失敗してきたからこその今。苦手なこともあるけれど、自分のペースで挑戦し、解決できることはたくさんある。

当事者インタビュー(ADHD)
〜匿名(30代前半・男性)〜

プロフィール:

  • 年齢:30代前半
  • 職業:一般企業(障害者採用枠)
  • 特性に気づいた時期:10歳ころ
  • 病院を受診した時期:大学1年生
  • 診断された時期:大学3~4年のとき
  • 診断名:注意欠如・多動症(ADHD)

主な特性:

  • やりたいことや考え事が多いため集中しにくい
  • 忘れ物が多い
  • スケジュール管理・時間を守るのが苦手
  • 長続きせず、飽きてしまう
  • 白色灯が苦手
  • 日中に強い眠気がある
  • 買い物のとき、どれを買うかなど、物事を決めるのが苦手

本文中に使用されている専門用語(アンダーラインのついたもの)については発達障害関連ワード集に詳しく説明があります。

発達障害に気づく

日常生活で困りごとを感じていたものの、抱えたまま“普通”に生きていくつもりだった

学生時代、ADHDという言葉は知りませんでしたが、日中の強い眠気や物事に集中できない事に対して漠然とした悩みを抱えていました。高校時代は授業を通して起きていられたことがほぼなかったほど、日中の眠気がひどく、この先無事にやっていけるのだろうかと不安でした。

また、時間を守ることや、スケジュール管理をすること、思いつきではなく考えながら話すことに困難さがありました。そのため常に、人間関係のねじれや、社会的信用を失うことに対し、危機感を抱いていました。

過去に、インターネットなどで自分に似た特徴のある人について見聞きした記憶はぼんやりとあるのですが、当時は自分の悩みは病院に行っても解決されないと思っていたため、悩みながらも、漠然と大学に行って、就職して、“普通”に生きていくつもりでいました

困りごとの原因がADHDにあること、そして改善できる可能性があることを知り、
病院を受診することに決めた

大学に入って早々、得意だった教科の単位を落としたり、飽きっぽさや人付き合いのストレスゆえにサークルを数か月で辞めてしまったりと、いくつかの挫折を経験しました。これをきっかけに悩み、近所で一番大きな病院を受診しましたが、その時は特に診断名はつかず、原因や対処法を知ることはありませんでした。

数年後、大学で研究室を中心とした生活が始まったことをきっかけに、いよいよ通学や集団生活の窮屈さ、スケジュール管理に限界を感じ、卒業や就職に強い危機感を持ったため、もう一度病院を受診しようと決め、インターネットで見つけた心療内科を受診しました。ここでは“抑うつ傾向”と診断され、薬を処方されましたが、同時に発達障害の可能性があることを知らされました

そこで、行政の窓口から発達障害の診断ができる病院に予約を取り、受診した結果、発達障害と診断されました。現在も薬をもらうためその病院に通っています。

私は、てっきり“どんな病院でも、その診療科の分野であれば大抵のことは診断できる”と思っていたので、2軒目の病院で「発達障害かもしれないが、詳しい診断はできない」と言われて、びっくりしたことを覚えています。最初に診てもらった医師も発達障害には詳しくなかったようですし、“発達障害を診ることができる心療内科や精神科は限られている”ということを、その時初めて知りました。

発達障害を受け入れる

もともと感じていた特性に「発達障害という名前が付いただけ」ととらえ、ショックを受けることはなかった

私の場合は、診断を受けた際にショックを受けることはなく、事実として「そうなんだ」と認識しただけでした。ADHDの特性を聞いたところ、自分が今まで感じていたことと完全に一致していたからです。

私にとっては、自分にもともとあった特性が、困りごとを引き起こすなど、「一定の基準値を超えたから、発達障害という名前がついた」というぐらいの感覚でした。たとえるならば、“目が悪いから、近視の診断を受けた”と同じような感覚だと思います。

診断を受けたことで、働く環境を手に入れられた。
この環境を活かすためには、いかに自ら工夫できるかが重要

診断を受けたことで、最大の課題だった眠気が処方された薬で次第に改善し、就労支援機関を通じて障害者雇用で働くことができるようになった点は、とてもよかったなと感じています。余裕のある環境で働きながら工夫を重ねた結果、体調も徐々に安定してきており、結果として薬を飲む以上の改善効果が現れています。

ただ、いくら眠気が改善し、障害者雇用枠を使えるようになっても、時間を守ることやスケジュール管理など、特性上の課題は他にも多々あります。これらを改善して働き続けるには、周囲の支援を活用することも大切ですが、プラスアルファで自ら工夫して行動することも重要だと考えています。

発達障害と共に歩む

無理せず、自分のタイミングで、必要だと思う対処法を取り入れていけばいい

発達障害と診断された時、主治医に「障害者雇用枠で働くには、障害者手帳が必要だ」と教えてもらい、障害者手帳を取得しました。先生には民間の就労移行支援機関も紹介してもらい、そのおかげで、現在も障害者雇用枠で働くことができています。

「もっと早くから、このような支援を受けられていれば」、と考えることもありますが、過去の自分を振り返ると、支援があってもうまく生活できていなかったかもしれない、とも思います。
支援を活用したり、周囲の情報を活用して自ら工夫したりするようになるまでに、私はいろいろな挑戦や失敗を重ねて、悩みながら苦手を克服する経験をしてきたのですが、あくまでも自主的に必要だと考えられたからこそ行動を起こせたのだと思うからです。このように考えられるようになったのは大学を卒業し、学校から離れたことで余裕ができたことが大きかったです。過去の自分には、学校に行かないという選択は難しかったし、通学しているうちは支援や他の人のアドバイスを素直に受け入れられる状態ではなかったと思います。

今思えば、発達障害者同士でも各々の悩みは異なるので、他の人の話の中には自分にあてはまらない対処法もあって当然で、自分にあてはまるものだけを参考にすればいいのですが、当時は何を言われても「自分にはできないことばかりだ」と感じ、劣等感や疎外感から卑屈になるばかりでした。無理をしてメンタルを悪化させないよう、支援を受けたり情報収集したりするのは、自分に余裕があり必要だと思ったタイミングでいいと思っています。

支援を受けたり、情報を集めて自分で工夫したりできるようになるまでには、心の休息も必要だった

私は大学時代、度重なる遅刻について怒られたことをきっかけに自己嫌悪に陥り、通学が難しくなってしまいました。結果として、卒業後1年間は就職せずにアルバイトを続けながら、自分の心を休ませる期間をとりました。

自宅で自由に過ごせる時間が増えたことで、多動の特性が良い方向に作用して様々なことに挑戦するようになり、徐々にメンタルも回復していきました。今思えば、私にはやりたいことや考え事がたくさんあるから集中できないのであって、規律があるため自分のペースで行動できない学校という環境が合わなかったのだと思います。結果的に、1年後には就労支援機関に行けるようになり、それから4か月で就職することができました。

失敗を振り返りながら、挑戦と試行錯誤を重ねたからこそ、自分の特性に合った対処法を発見できるようになった

私が特性に合った対処法を見つけられるようになったのは、過去の失敗を振り返りながら、挑戦と試行錯誤を重ねたことで成功体験を得て、コンプレックスを克服できたからだと思います

たとえば、私は学生時代、体育、特に球技が苦手で、その原因は私の運動神経にあると思い込んでいました。しかし社会人になって、運動神経が求められそうなバイクの免許を取った時は、教習の延長もなく免許を取得でき、今でも通院に利用しています。この経験から、苦手だと思っていたものもやってみるとできる、楽しめることもあるのだと、自信につながりました。振り返ると、球技が苦手だったのは、単に授業で球技のやり方を丁寧に教われなかったことや、自分の特性として視覚と運動の協調が特に苦手であることが原因だったのではないかと思います。それ以来、できないことがある時は、特性の面で難しさがあるのか、単に習っていないからなのか、と原因を切り分けて理解するようになり、挑戦の幅が広がりました。また視覚と運動の協調が求められる活動を避けるようにするというのは、工夫にあたっての指針の一つとなっています。

また、大学卒業直後、お小遣い管理ができるようになりたいと考えましたが、既存のツールでは長続きしなかったので、自分に合うお小遣い帳を自作するため、独学でプログラミングの勉強を始めました。結果的に1か月で飽きたので、プログラミングの基礎を学ぶくらいで終わってしまったのですが、その時勉強していたお蔭で、1年後、仕事で苦手な転記作業を任された際に、Excel作業を自動化してミスしにくい環境を構築することができました。飽きっぽさはコンプレックスでしたが、何事も役に立たないことはないのだ、と前向きな発見を得られました

さらに、私は買い物をしようとすると「すぐに壊れたらどうしよう」などと取り越し苦労なことばかり考え、どの商品を買うかなかなか決められない性分です。そこで休息期間中に「欲しいものは自作する」という挑戦を始め、対処法として継続しています。最初に作った財布は愛着があり今でも使っていますし、一週間分の弁当を作り置きしたり、自分のデータを他人に預けないためにファイルサーバを自作・運用したりしています。一般的には手間だと思われることが、自分にとってはプラスになるという、工夫の選択肢が広がる大きな発見でした。

挑戦を重ねる中で、分からないことは調べる習慣がついた。
自分で情報収集して、解決策を探っている

いろいろなものを自作し始めたころから、自分で情報収集する習慣がつきました。今も、わからないこと、困ったことがあれば、積極的に調べるようにしています。たとえば、私は白色灯の下にいると体力を消耗してしまうため、対処法をインターネットで調べて、暖色灯にしたり、室内用サングラスを使ったりすることで、状況を改善しています。また、スケジュール管理も長年の課題でしたが、手帳の取り方がわからないことが原因であると気づき、手帳の取り方をインターネットで調べた結果、バレットジャーナルという方法を見つけ、ストレスを減らすことができました。

発達障害自体について深く調べることは、現状ではありません。“発達障害”というくくりで物事をとらえすぎず、その時々の自分の悩みに対し、自分なりに対処する方法を調べるようにしています。

発達障害に対する理解のある職場であるため、休みをもらい月1回通院

現在、発達障害を診られる病院に月1回通い、薬の処方を受けています。医師とは毎回10分くらい、自分のペースで、体調の変化や困りごとに関する相談をしています。

職場には発達障害があることを伝えているため、通院日には半休をもらえます。実際は、通院すると他のことをする気力がなくなってしまうので、1日の有給とすることで、仕事と通院を無理なく両立させることができています。

できない事は放置せず、苦手なことを避けながら、工夫して対処していく事が大切

自分の特性と共に生きていく上で苦労することは多くありますが、うまくいかない事から目をそむけたままでは状況は改善しないと思っています。やらなくていいことなら避ければいいですが、やる必要があることならば、まずは「いかに苦手なことを避けつつ課題をこなすか」を考え、工夫して対処することが大切だと思っています。意識を高く持つ必要はありません。初めは苦手なことばかりで気が滅入るかもしれませんが、挑戦していれば、そのうちできること、好きなことが見つかり、工夫も楽しくなってくるのではないかと思います。

たとえば、私は朝起きられず遅刻しそうになり焦ることがストレスだったため、タイマー付きの照明を購入し、焦らないで済むよう出勤予定時刻の3時間前に明かりが付くよう設定することで、スムーズに起床できるようにしています。また、時間ぴったりに行動することもストレスなので、それを前提に第2目標の就寝時間・起床時間も設定し、第2目標に起きられればセーフと考えることで、自分のメンタルもコントロールしています。

また、文字を書くのが面倒で、左利きゆえに紙が汚れてしまうのも嫌なので、試行錯誤した結果、「鏡文字を書く」という解決策に辿たどり着き、実践しています。

発達障害の対処法には、定番は存在しないかもしれない。うまくいかなくても前向きに、自分なりの方法を探して

発達障害の特性から生じる悩みは、発達障害のない人はもちろん、発達障害者同士でもなかなか理解しにくいストレスだと思います。多くの人が共通して持つ悩みではないので、発達障害と共に歩む生活は、いわば“定番の対処法”がない世界に生きているような感覚と言えます。たとえば“蚊”に困っているとします。定番の対処法は蚊取り線香をくことですが、仮に大多数の人が蚊を気にしない世界で、蚊取り線香という対処法も知られていなければどうでしょうか。自分は蚊が気になってしまうので、放置すれば寝不足という状況の悪化を招きます。それを避けるためには、自分でがんばって蚊を捕まえるなり、どこかでひっそりと売っているかもしれない蚊取り線香を探し出すなり、自分にできる方法を見つけ出すしかありません。

このように、発達障害の特性から生じる悩みに定番の対処法はないのですから、誰でも最初は失敗して当然だと思っています。だからこそ、うまくいかないことをネガティブにとらえないこと。悩みやストレスも“ゲームに登場する敵”だと思ってはどうでしょうか。まずはシンプルに、「マイナスをどう解決するか?」という目線で、あなたなりの対処法を探してみてください

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