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発達障害 みんなのストーリー

発達障害を含めた様々な社会問題の解決に向けて新たな挑戦を続けていきたい

当事者インタビュー(ADHD)
〜光武 克さん(37歳・男性)〜

プロフィール:

  • 年齢:30代
  • 職業:会社員(プロジェクト・マネージャー)
  • 特性に気付いた時期:20代後半
  • 病院を受診した時期:20代後半
  • 診断された時期:30歳ごろ
  • 診断名:ADHD

主な特性:

  • 論理的思考や言語的な作業が得意
  • スケジュール管理が苦手
  • 忘れ物をしやすい
  • 多動傾向がある

本文中に使用されている専門用語(アンダーラインのついたもの)については発達障害関連ワード集に詳しく説明があります。

発達障害に気づく

周りから浮いている存在――友達がほぼいなかった学生時代

幼少期をふり返ると、私は友達がほとんどいない状態で過ごしていたと思います。すでに小学生の頃から「変わった人」と周囲に思われているという自覚があり、実際に「周りから浮いている人」という扱いを受けていました。今にして思うと発達障害らしいエピソードなのですが、中学校の吹奏楽部で副部長をしていた時には、練習にあまり出てこない部員を論破する勢いで厳しく詰め寄ってしまったことがあり、それがきっかけで、学年のほぼ全員の女子から無視されるというつらい経験をしました。

また、話すことが得意だったので学校では目立っていて、学級委員を任されることもあったのですが、正論ばかりで他人の感情に寄り添うことができなかった私は、周りの友達とうまくいかずいじめにも遭いました。ただ、良くも悪くも合理主義だったので、いじめをモチベーションにして勉強に励み、その甲斐があって成績はずっと学年でトップでした。

大学生活の中で新たに直面した困難

高校生までは親元で、毎日ほぼ決まったスケジュールに沿って生活していたので問題はなかったのですが、大学生になると自由度が増し、日々のルーティンやスケジュールを自分で管理し、その都度進捗を確認していかなくてはなりませんでした。

私はそうしたことが非常に苦手で苦労の連続だったものの、当時はそれが発達障害の特性によるものだという自覚はまったくありませんでした。その頃の私は、心の中で友達のことを″リマインダー“と呼ぶくらい、常に友達の助けを借りながら大学生活を乗り切っていましたが、友達の方も、私を「面白い人」という位置づけで付き合ってくれていたようでした。周りから浮いていていつも一人になりたがる私のことを、RPGゲームに登場するレアキャラの名前になぞらえ、″はぐれメタル“というあだ名で呼ぶなど、私の特性を面白がってくれていました。こうして、友達にも恵まれた大学生活を過ごしていましたが、その後、様々な理由で大学は中退することになりました。

公私ともにうまくいかなかった時期に気づいた発達障害

大学を中退後、私はフリーランスの予備校講師として長く活動していました。プライベートでは20代後半で大学の同期だった女性と結婚したのですが、会話がかみ合わないなどコミュニケーションがうまく取れず、夫婦関係について悩みを抱えるようになりました。そしてそうした悩みが、次第に仕事にも影響し始めるようになったのです。

なぜこんな状況になっているのだろうか―その原因を探るためいろいろと調べていくうちに、インターネット検索で発達障害のセルフチェックができるサイトを見つけました。そこでセルフチェックをした結果、ほぼすべての項目が自分の特性に当てはまっており、「自分は発達障害なのかもしれない」と気づいたのです。他者の評価として妻にもチェックしてもらったところ、自己評価とのずれはさほどありませんでした。思い返してみると、それまで発達障害との関連は認識していなかったものの、妻には大学の頃からすでに多動傾向であることをしばしば指摘されてもいました。

その当時、公私ともにうまくいかず不安定な状態であった私は、感情の浮き沈みが激しく睡眠障害も併発していたため、精神科を受診することにしました。そこで診察を受け、様々な問題の根底にはやはり発達障害の可能性が考えられるとのことから、ADHD(注意欠如・多動症)の薬を処方されました。その結果、私の場合は予想以上に薬の効果を実感し、次に受けた心理検査(WAIS)では認知や脳機能の特性に大きな偏りがあることも分かりました。それがちょうど30歳くらいの時でした。

発達障害と向き合う

冷静に受け入れることができた発達障害の診断

発達障害と診断された時、人によってはショックや不安を感じることがあると思います。しかし、私は幼少期から変わっていると言われ続け、社会人になってからも日々の細かなスケジュール管理が苦手で、何かに集中していると業務上のやり取りがうっかり抜け落ちてしまうことなどがあり、そうした様々な問題の根本に「発達障害」という名前が付いたことで納得することができました。また、たとえ″障害者“とラベリングされたとしても、自分自身には働く上では特に困ることがないという安心感もあったのです。

もともと私は、話の内容をロジカルに整理してコンパクトな言葉で人に伝えることを得意としています。診断の際に受けたWAISの結果でも、言語に関する能力は非常に高いことが分かりました。実際、その能力は予備校講師の仕事やコンサルティングの分野で自分の強みとして大いに発揮でき、高い評価にもつながっていました。だからこそ、他でうまくいかないことがあったとしても、自分のポジションを何とか獲得し実績を収めるができたように感じています。

強く現れるようになった過去への後悔、つらい記憶のフラッシュバック

将来に対する不安がなかったため、私は発達障害を非常に冷静に受け入れることができたのですが、その一方で、過去の自分に対する″たられば”の思考が生まれるようになりました。もしもあの時に発達障害のことを知っていたら、自分はもっとうまく対応できていたのではないか――過去の失敗に対する後悔の気持ちが強くなり、ネガティブな感情とともに当時のつらかった記憶がリアルなものとしてフラッシュバックするようになっていったのです。

これは、私がADHDであると同時にASD(自閉スペクトラム症)の傾向も強いことによるものなのかもしれません。今でもメンタルの状態があまりよくない時には、そうした思考に陥ってしまうことがあります。その場合は、気持ちを切り替えるため、周りの人の理解を得て仕事の中に単純作業を組み込むように心がけています。その他、医師に相談して薬の使い方を調整したり、カウンセリングを受けたりすることもあります。

自分を客観視するには時間がかかることも

発達障害の人は、「20代後半から30歳くらいの年齢になってようやく自分のメタ認知ができるようになる」という“30歳成人説”を聞いたことがあります。実際、20代前半ではどのようにメタ認知をすればよいのかが分からず、仮にその方法を教わったとしても精神の成熟が追い付かないため、自分を客観的に捉えることができずに苦しむケースが多いのではないでしょうか。

メタ認知:自身の認知活動を客観的に認知すること

私自身は発達障害と診断されたことが大きなきっかけとなりましたが、自分の特性や自分が置かれた状況を冷静に受け止めた上で説明できるようになったのは、30歳を過ぎてからのことです。もしも大学生の頃に自分が発達障害だと知っていたとしたら、就職活動であまり悩むことはなかったのだろうか、障害者雇用という道を選択していたとしたら、自分には違う人生があり得たのだろうか――こうした″たられば”の思考にとらわれることもあるのですが、当時の自分がうまく対処することはそもそも困難だったように思います。

発達障害と共に歩む

友達と長く付き合っていくことは、大切なライフハックの1つ

発達障害の診断を受けた当初、私は妻と自分の家族、友達にそのことを伝えました。その反応は三者三様でした。妻はいたって冷静でしたが、家族は結構ショックを受けていた様子であり、友達からは「それはそうだろう。というか、そもそも自覚がなかったのか?」などと言われました。

私が発達障害であることはもともと知っていたかのような友達の反応に、私は正直かなり驚きました。私のダメな部分をすべて理解した上で面白がって付き合ってくれていた友達は、そもそもとても寛容な人なのですが、″類は友を呼ぶ“という言葉の通り、友達本人にもどこか私と同じような傾向があります。ですから、本人もすでにそのことは自覚していて、発達障害についての何らかの知見があったのではないかと思います。

発達障害に限らず障害がある人にとって、人間関係を続けていくことは面倒と感じることが多いかもしれません。ただ、そこを乗り越えて友達と積極的につながっていけば、人脈が広がり、見える景色も変わってくると思います。人間関係を大切にして友達と長く付き合っていくことは、発達障害と共に生きる人にとって大切なライフハックの1つだと私は考えています。

“社会人として必要な感覚”を身に付けること

現在、私は個人事業として発達障害のコミュニティーを運営しながら、アクティベートラボという会社で障害者雇用のコンサルティングや転職のエージェント業務にも携わっています。その中で、障害のある人の就労に関して私が強く感じるのは、自身の障害の特性とは別に”社会人として本来持つべき感覚“を身に付けておく必要があるということです。それは発達障害に限らず、どんな障害においても社会で生きていく上でとても重要なことだと考えています。

例えば、気分の浮き沈みが激しいなどメンタルの不調を抱えている人は、それが障害の特性だとしても、安定した仕事をなかなか任せてもらえないといったことがあると思います。というのも、仕事を任せることで現実的には周囲の負担が大きくなるという問題があるからです。障害がある人に対してはもちろん配慮が必要ですが、周囲の負担が増しても仕事を任せるとしたら、それは合理的な配慮とは言い難いものになるでしょう。

ところが、「それでも配慮してもらわなくては困る」と考える人は実際にいて、そういう人の場合は就職がなかなかうまくいかないという印象があります。これはあくまで主観的な見方ですが、就労していない、あるいは退職して職場上の人間関係や社会とのつながりから長く離れてしまっている人は、「自分の障害の特性を理解しない社会が悪い」と考える傾向が強いように感じます。

社会人が発達障害の悩みを気軽に語り、交流できる空間を

大人の発達障害の場合、職場や家庭で障害の特性による悩みを抱えながらも働き続けなければいけない人が相談できる場所が求められると思います。ただ、私が発達障害の診断を受けた頃、医師の勧めで発達障害の当事者が集まる自助会に参加したのですが、その会は当時の私が抱えていた夫婦関係や仕事の悩みを相談できるような雰囲気ではありませんでした。

その経験から、同じ発達障害の当事者であっても置かれた状況や立場はそれぞれ異なるため、「悩みの質」がカテゴリー分けされていない場でお互いを分かり合うことは難しいと感じたのです。それならば、単に「発達障害」という大きな括りで集まるのではなく、就労していたり、就労を目指し社会との関わりの中で生きづらさを感じていたりする人が気軽に交流できる空間があればいいと思いました。

そこで、就労している人向けの交流の場を実現するために、まず自分を軸にペルソナを設定し、言語化しながらどのような形態がよいかコンセプトを整理していきました。そのプロセスの中で、社会人の場合、疲れた時はお酒を飲んで気分転換することが多いことから、仕事帰りにふらっと立ち寄れるようなバーという形態であれば、くつろいだ雰囲気の中で発達障害の悩みを共有・相談できるのではないかと考えました。そして、ターゲット層、価格帯、コンセプトの打ち出し方などを戦略的に進めていき、「発達障害バー Brats(ブラッツ)」をオープンしたのです。

ペルソナ:マーケティングなどで用いられる用語で、自社製品やサービスのターゲットとなる相手や顧客像のこと

発達障害バーに続く新たな挑戦へ

発達障害バーはメディアでも数多く取り上げられ、順調に稼働していきましたが、コロナ禍で休業を余儀なくされ、同時に進めていた「ぽんこつニュース」というYouTubeチャンネルの活動に注力していくことになりました。そこでは、発達障害をはじめとする精神疾患の特徴を紹介したり、私自身の経験を生かしたライフハックや様々なトピックについての情報を発信したりしています。

また、現在所属している会社では、発達障害バーのイベント事業を立ち上げました。そこでは、発達障害バーで転職相談やビジネスマッチングを行い、新たな障害者雇用を生み出すことをコンセプトの1つとしています。日本の障害者雇用は限定的な要素が強いため、雇用から抜け落ちてしまっている障害者がいる現状がありますが、私たちの今後の取り組みがその問題の解決につながっていくことを目指しています。また、その他のイベント事業としては、発達障害の特性を考慮した恋愛のマッチングなども新たな方向性として視野に入れています。

発達障害には幅広いテーマがあり、自身の中での悩みや考え方はそれぞれの人で大きく異なります。そのため、私の意見が決して正しいとは思っていませんが、発達障害の当事者である私自身が経験としてうまくいったことや考え方などが皆さんのお力になるようでしたら、ぜひ参考にしていただければと思います。私はこれからも新しいことに挑戦し続けながら、発達障害を含めた様々な社会問題の解決に努めていきたいと考えています。

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